2011年11月7日月曜日

性懲りもなくアットリーニ。二着目

あのね、
アットリーニでググると、このブログのこの記事が一ページに出てくるんですが、
これがヒジョーに恥ずかしい。

というのは、結局トム・フォードのオーダーはしないまま、
トム・フォードのスーツは二着とも売り払ってしまい、
その折に、もう高額の服は二度と買うまいと決心し、

なのに、先日アットリーニのスーツを新たに一着買ってしまったからなのです。

あああ、なんという煩悩にまみれた男なのかおまえは(←自問自答)。

トム・フォードのスーツを手放した原因は「皺を取ろうとスチームアイロンをあてたら、生地が波打って取れなくなったから」につきます。
生地があまりにも上等すぎ、あまりにも繊細すぎたためだと思いますが、頑固な皺を取ろうとガンガンスチームを何度もあてている内に、あてた箇所がビロンと伸びてしまったのです。
これでは先が思いやられる…と思うとげんなりしてしまって。
クリーニング屋に出せばいいのでは、とも思い、買った店でクリーニング屋を紹介してもらいましたが、会員制という敷居の高さに「一体幾らかかるんだろう?」とおののいてしまい、ついに一度も連絡を取りませんでした。

まあそんなこんなで服関係の煩悩とはしばらく無縁でいたのですが、
ある日、N...の店先を通りかかると、素晴らしくカッチョいいジャケットがトルソーにかかっていたのでした。
見た瞬間「これはアットリーニに違いない」と思い、煩悩を振り払うために足早に通り過ぎたのですが、50mも歩かないうちに逆戻りしていたのでした。

そして店に入り、店頭に飾られていたジャケットがアットリーニであることを確認し、自分のサイズのジャケットを試着させてもらい、あああでも高いしウールxシルクxカシミヤでは弱そうだしダブルブレストは着づらいしなあ、と考えていた矢先、

eBayで自分のサイズのスーツを見つけたのでした。
ウール100%、チャコールグレー、無地、梳毛、シングルブレスト、新品。
しかも大バーゲン価格。

手持ちのアットリーニ(売るかどうか散々迷って売らなかった一品)を着てシゲシゲと鏡を眺めた挙句、結局ポチってしまったのでした。
ごめんねN... そのうちまた何か買うから。

ポチってから十日、めでたく到着して早速着てみます。
おおお、ものすごくピッタリ。良かった良かった。

ってなわけで、昨日、修理屋さんに袖のボタン付けとパンツの裾直しに出してきました。
袖を本切羽、額縁仕上げ、ボタンホールを手縫い、でお願いしたため、出来上がりは半月後になるとか。

実は生地がスーパー130とかで、トム・フォードに負けず劣らず繊細っぽい感じなのですが…まあ皺になってから考えるとしよう(←現実逃避)。

それにしてもどうして服のことを考えると気分が高揚するのでしょうか。
洗濯に対しても気分が高揚すればいいのにねえ、全く。

2011年11月2日水曜日

その後の靴遍歴

靴を買ったとか外反母趾になったとか今までさんざん書いてきましたが、その後もあれこれ迷い続けていっこうに終わりません。
書いてなかった分をここで一挙公開。

ポディアのコンフォートシューズ、一足
羽根が閉じるくらい紐をきつく縛っても踵が抜けるようになり、かつ爪先が痛くなるので引退させる。

コバヤシ靴店のオーダーメード、一足目
ユルユルかつ爪先が痛くなるようになってしまった。現在休眠中。

コバヤシ靴店のオーダーメード、二足目
一日歩くと爪先が痛くて&踵の靴擦れが酷くて我慢の限界を超えてしまったため、早々に着用を諦める

トム・フォードの紐靴(外羽根式)、一足
踵が小さくできていてホールド感が良かったのはいいが、段々足が前滑りするようになったので、これまたサヨナラする。

J.M.ウエストンの紐靴(内羽根式)、三足
サイズ7、幅Bという、恐ろしく細いのを選んで購入。ついに満足できる靴に出会った!と喜んで二足目、三足目を購入したものの、踵の皮が大規模に剥がれたのを始め、絆創膏を週に一箱消費する日々が続く。
やがて紐を結ぶ辺りの関節が酷く痛むようになり、外反母趾が始まってきたので、五週間目で匙を投げる。

MBTの紐靴(外羽根式)、一足
幅が広過ぎて足が横に滑りやすい→横方向に革が伸びてますます足が泳ぐ→歩きづらくなって休眠中。

MBTのベルクロストラップサンダル、一足
足をしっかりホールドしてくれるため今年の夏大活躍。現在シーズンオフにつき安眠中。

ミズノのビジネスシューズ、一足
中敷とセットで購入。中敷を入念に調整してもらい、非常に安定して歩けるようになった(感動)。しかし一日履くと足が前滑りして爪先が痛くなる。

Nettletonのローファー、一足
サイズ9 1/2、幅AAという極細靴。ちょっと踵が抜け気味ではあるものの快適フィット。自分が極端な細幅足であることを強く思い知らされる。

アレン・エドモンズの紐靴(内羽根式)、一足
サイズ9、幅Aという極細かつデカイサイズを選択。の筈だがなぜか足に合う。指で靴底を踏みしめられる幸せを実感する。しかしまだ一週間しか履いていないため、結論を出すのがためらわれる。


こうして書き出してみると、サイズと幅が合わない靴は何をどうしても快適にならない、とつくづく思います。
これをピアノに当てはめて考えると…えーっと、どういうことかな…まあいいや…

2011年8月9日火曜日

今週のレッスン:海が荒れるのは夏か冬か

前回の流れで、今回は「海の情景」第一回レッスン。
の前に先生から一言。「この曲は海が荒れているさまを現してるけど、海が荒れるのは冬じゃなかったっけ?」
そう言われればそうかも。ギロック先生のお住まい近辺ではどうか判りませんが、演歌では冬の日本海は常に灰色ですもんねえ。

では「海の情景」は冬ということにして、「夏の嵐」をあらためて組み入れるというのではどうでしょう?
「まあ、また考えておいて下さいね」
ハイ。

ってな感じで「春」。
最後の二つのアルペジオで、間が空いてしまっているとのご指摘。
ここはねえ、指使いを間違えて覚えてしまったので、毎回"あれ、どうだったっけ?"と考えながら弾くために止まっちゃってるんです。
「じゃ、指使いをちゃんと覚えなくてはね」
ごもっともでございます。

「秋のスケッチ」
テンポをもうちょっと早めて弾くと、まんなかあたりが崩壊。
「次から練習はまんなかから始めましょう」

「海の情景」
先生が音符の下に丸を書いていきます。丸はだんだん大きくなったり小さくなったりして、うなりの包絡線
のように見えます。
この丸の大きさにしたがって音の大きさを変えましょう、ということなのですが、ペダル踏みっぱなしだとなかなか思うように調節できない。
これは次回までの宿題。

ってなわけで、今回はつつがなく終了。来週は夏休みのため、お休みです。

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2011年8月8日月曜日

調律してもらうと弾き易くなりました

年に一度の調律をそろそろしないといけないなあ…と思いつつ、つい一日延ばししにしてまして。
ようやく調律してもらいました。

なんで思い立ったらすぐにやらないかというと、部屋を片付けないといけないからです。
きれいに片付いた部屋で弾くピアノは気持ちいいなあ。(←って、おまえはのだめか?)

調律してもらうと、まろやかな音になって、とても弾き易くなりました。なんというか、いつまでも弾きたくなるような感じ。

このブログを"調律"で検索したら毎度似たようなことを書いてますが、まあ調律して弾きにくくなったら困るもんねえ。

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2011年8月2日火曜日

昨日のレッスン:夏の嵐を海の風景に変更

久々のレッスン記録ですが、今日は「春」「秋のスケッチ」共にほとんど何も指摘事項なく終了。
次に弾く曲は「夏の嵐」の予定だったんですが、先生から「同じギロック叙情小曲集の「海の風景」はどう?」と聞かれ、弾いてもらったらたちまち気に入ったんで、一も二もなくこちらに変更決定。
ドラマチックでテンポも速めなので、「春」と「秋のスケッチ」にはさむのにはもってこいです。

となると、やはり残りの冬パートも激しい曲にしたい。
以前候補に挙げていたリストの曲は真逆なので探し直したいのですが、冬に関係しそうな曲でそんな感じなのが、それでいて自分が弾けそうなのが思い当たらない。

ここは、なんとなく冬っぽければ良しということにして、もう一度探し直します、というところで昨日のレッスン終了。

それにしても「海の情景」はおいしい。
難易度のわりには演奏効果がデカイ。
これもまたはまりそうです。

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2011年7月27日水曜日

友達がピアノを始めた

会社の同期の飲み会で、半年前からピアノを始めたという男を一人発見。
娘がピアノをやめて以来、電子ピアノを、内蔵のデモ演奏と楽譜を見よう見真似で弾いているらしい。
それでいて今弾いているのは悲愴第2楽章というから凄いもんです。

今までピアノ(アップ・グランドとも)弾いたことがないというので、練習室をレンタルしてピアノ遊び。二人ともうろ覚えのまま、あーだのこーだの言い合うのが実に楽しい。

こういう人が増えてくれると嬉しいなあ。

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先々々週のレッスンと先々週のレッスン

「秋のスケッチ」に対する先生のコメント。

・指を伸ばして弾く
・最後の音は、触れたと同時に上げる。ふわっとした音で。
・もう少しテンポを上げる。
・音が遠慮がちなので、もっと音を出していい。

ってことでした。

そろそろこの曲を終えて次にいかなければ、そろそろマズイのでは…と思うことしきりなこの数日。

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2011年7月21日木曜日

「ニュルンベルグのマイスタージンガー」の五重唱

唐突ですが、ワーグナーが好きです。

でもどういうわけか「さまよえるオランダ人」は一回聞き流したことしかなかったり、など色々「好き」というには不備が多かったり。それでいて「全部聴いてやる!」と発奮したりすることもなかったり。
ちょっと曖昧なお付き合いなのです、ワーグナーさんとは。

それに加えて、ワーグナーの有名録音とか有名録画というか、は大量にあって、全部追いかけると金が幾らあっても足りない。

なんといってもオペラが有名なので、有名演出家の名舞台、または有名指揮者の名演奏を全て網羅しようと思うと、一体どれだけのCD/DVDを買わないといけないんだか…。
DVD出現の前はLDを買うしかなかったですし、これがまた高かったんですよね…。

その上、熱心なワグネリアン(=ワーグナーを崇拝する人々)は、毎年夏に行われるバイロイト音楽祭(ワーグナーのオペラしか上演しない狂信的なお祭り)のチケットを求めて争奪戦を繰り広げるんだとか。
バイロイト音楽祭はワーグナーが設計した専用劇場で行われるんですが、空調が効かなくて暑いし、椅子は固いし、どのオペラも2,3時間は平気でかかるし、それでいて正装(男はタキシードなど。女はイブニングドレスなど)を求められるので、只でさえでも暑苦しい、で地獄の苦しみなんだそうです。

ワグネリアンというのは、マゾ体質でないと務まらないんですねえ…。
私はCDでいいです…。

それも、もっぱら愛聴するのは

バーンスタインの「トリスタンとイゾルデ」
(どういうわけか名盤の誉れ高いクライバー盤は何度聴いても聞き流してしまう)
カラヤンの「パルシファル」
(クナッパーツブッシュ指揮バイロイトライブ録音が名盤だそうですが何度聴いてもイマイチぴんとこない)
クーベリック&バイエルン放送響の「ローエングリン」
カラヤンの「ニュルンベルグのマイスタージンガー」

くらいです。
他に好きなのもあるんですが、あまり登場回数が多くないので省略。

で、上の四つなんですが、最初の二つと後の二つは、好きなところがキッパリ違う。
「トリスタン…」にしても「パルシファル」にしても、基本的に独唱なんですよね。
でも「ローエングリン」や「マイスタージンガー」の一番美味しいところは、どういうわけか独唱じゃない。

ここでやっと本題に入るんですが、「マイスタージンガー」で一番好きなのは、CDの4枚目の冒頭の五重唱なんです。
これ、実はあんまり筋立てを理解してないので、どう書けばいいのか分からなかったんですが、"マイスタージンガー 五重唱"でググってみると、どうも第三幕第四場らしい。この五重唱には「私の幸せに太陽が」という名前がついているらしい。
この五重唱がもう最高で、めちゃくちゃ盛り上がるんですよねえ。これくらい惹きつけられる合唱は、他には「リゴレット」の四重唱くらいしか思いつきません。
で、ちょっと一息ついたところで、また徐々に盛り上げてラストに向かってなだれ込んでいくんです。この辺りの流れは、本当に堪りません。


そういうわけで、「ワーグナーが好き」というよりは「カラヤンのマイスタージンガーのCD4枚組セットの4枚目の冒頭から最後までが好き」とか、そんな虫食い状態のかけらみたいなのがあちこちに散らばってるんで、一息に「カラヤンが好き」とか「ワーグナーが好き」とか言えないのが悩みです。

2011年7月7日木曜日

今、私は、埼玉県民でもなく、心臓病を患わっているわけでもないということに対して、神に無限の感謝を捧げます。アーメン

聖書は正しく、進化論は間違い-クリスチャンは堂々と説明できるべき

イエス・キリストが日本社会には絶対必要

6月30日、クリスチャンアカデミー(東京都東久留米市)にて開催された第66回コーヒーアワーにて、埼玉医科大学准教授の今中和人(いまなか・かずひと)博士が「心臓外科医が語る驚異の人体」と題して講演を行った。今中氏は講演において、現在もなお日本の義務教育下で「進化論」が正しいかのように教えられていることに深い遺憾の意を表し、キリスト者である私たちは「進化論」が完全に誤った考え方であり、全知全能の神様が私たちのすべてを初めから創造されたお方であることを堂々と宣べ伝えていかなければならないと強調した。

今中氏は心臓外科医となり、生きている人間の内部にある心臓の驚くべき仕組みを発見することで、人体は徐々に進化して形成されていったのではなく、神様が御心に従って人体のすべてをご計画の通りに初めから創造されたことを確信したことを講演で証しした。

同氏は日本人のキリスト教に対する考え方として、「イエス・キリストの教えに否定的な人はほとんどいないが、イエス・キリストを通して表される全知全能の神が存在しているということを受け入れることができない日本人が多く、神の存在を受け入れられないことがイエス・キリストを受け入れられないことにつながっているのではないか」と指摘した。

特に今中氏は「進化論」については「でたらめの新興宗教である」と厳しく非難し、未だに学校教育で進化論が教えられている現状に危機感を募らせ、「進化論」の考えが日本人が神という存在を受け入れるのに大きな妨げになっていると警告した。

科学万能主義のようにも思える現代日本においては、初代教会の時代の偶像崇拝に満ちたコリントの都市での伝道と同じく、「ムードや直感に頼って行うのではなく、聖書が正しいことを理論的に証できる知識を身につけた上で伝道するべきではないか」と述べた。

心臓外科医である今中氏は、人体の仕組みについて、実際に心臓の手術中の映像を交えてリアルに説明し、「骨や筋肉というものは、非常によく考えられてつけられています。曲がるけど伸びないというところはありません。心臓が送りだす血液量は一分間で5リットルにもなります。1日に換算するとペットボトル1万5千本もの血液を送り出しています」と身体器官の驚くべき仕組みを説明した。

人体の仕組みを知れば知るほど、如何なる組織であれ、「目的も意味もなく創られるわけがない」ことが確信できるようになったという。特に心臓という器官は「小さいが凄まじいパワーの心筋があり、もとは1つの細胞だったのにもかかわらず、バックアップ機能も備わっており、全く別な組織ともネットワークを形成できている。何故こんなことが可能なのかと考えれば、神様が創造されたと考える以外には考えられない」と述べた。他の器官についても、なぜ肺が酸素を取り込めるのか、脳が記憶できるのか、感情はどこから来るのか、皮膚が熱いとなぜわかるのか、なぜ免疫が外敵を撃退できるのか、なぜ腎臓は不要物のみを排せつできるのか、すべてが神様の御業であるとしか考えられないことを証しした。

また聖書ではひとりひとりがキリストのからだとして生きることが勧められているが(Ⅰコリント12章)、人体の各器官を観察すれば、まさにキリストのからだとして機能し合っており「どの一か所として自分のものを独占しようとしているところはない。体内が既にキリストのからだを実現している」ことが痛感されることも説明した。

人体の形成について、すべては初めから神様の御心によって創造されたと考えるべきで、これをもし進化論に即して考えれるとすれば、「もし段階的に代謝能力を獲得してきたのなら、片っぱしから乳児期に死亡する時代、全員重度知的障害者だった時代などが生じたはずであるが、そのような時代があり得ないことから、『人体の組織は最初から全部できたと思われる』」と確信したという。同氏によると、人体の組織は観察すればするほど、「段階的に進化してきたとは考えられず、最初から全部できなければならないことばかり」であるという。

このことから同氏は、「イエス・キリストの弟子たちは最終的には殺されることも恐れず福音を宣べ伝え、数々の奇跡が生じました。この歴史的純然たる事実は何のためだったのでしょうか?(からだの各器官が他の器官のために機能し合っているにもかかわらず)クリスチャンは何と自分のためばかり祈ることが多いのでしょうか?私たちは主の御心のために創られました。パリサイ人は外に徴を求めたが、私たちの体内を見れば、自らの内に神が創造された創造物であるという徴を見出すことができます」と述べた。

現代教育で教えられる始祖鳥や人類の祖先などの進化論の教育について「教える人もそのことが科学的真実かのごとく教わっており、自分では確認していないのに悪意のねつ造によって作られた進化論が教えられ続けている」ことを厳しく非難し、「人類の起源の説明として未だに進化論が教えられ日本人は信じ込まされている」と警告、パウロ使徒の言葉を用いて「進化論」を「むなしい、だましごとの哲学(コロサイ2・8)」であるとはっきりと否定した。

その上で、本当に神がおられるのなら、すべての神様が創造された創造物が「どうなろうが構わないわけはないでしょう?」と疑問を投げかけた。今中氏は人体の各器官の働きやネットワークを観察すればするほど「互いに愛し合いなさい(ヨハネ15・12)、いっさいの物を共有にし・・(使徒行伝2・44)、互いの重荷を負い合いなさい(ガラテヤ6・2)、見よ。それは非常に良かった(創世記1・31)、あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、自分のからだをもって、神の栄光を表しなさい(Ⅰコリント6・19-20)」という聖書の御言葉が正に真実なものであることが痛感させられることを証しし、「私達を愛して下さる造り主は、私達の状況を気にかけておられ、私達の人生は意味も目的もある。(悲惨な出来事など)疑いたくなる現実は山のようにあるが、わたしたちの存在こそが聖書どおりの愛なる神の証明である」と述べた。

また人体のすべてが初めから神様によって創造されたものであることを確信することで、自分の人生は誰のものであるかが確信できるようになるとし、「私達が、誰でもみんな本当に選ばれ、知られ、愛されています。素晴らしいあなたがそのしるしです」と述べた。

同氏は、人体が神によって創造され、私達が聖霊の宮であるという真実を拒まず、この真理にクリスチャンは自信を持つべきであり、「自分の持っている確信を放棄してはいけません。その確信には大きな報いが伴っています(ヘブル10・35)」と警告した。

現代日本においては年間3万人以上もの自殺者が生じている。今中氏はこの状況を克服するためにも「イエス・キリストが日本社会には絶対必要であり、そのためにも神様がおられることが信じる前提になるのだから、この神様の存在をきちんと証できるクリスチャンでなければならない」と強調し、ノンクリスチャンで聖書も神様も否定する日本人の同朋に向けて、神様がおられることの「理解・納得できる根拠を示していくことが大切である」と述べた。

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今中和人氏 プロフィール

東京都在住 荻窪栄光教会会員

1982年 私立灘高校卒
1988年 東京大学医学部医学科卒
1989年 日基教団根津教会にて受洗
1999年 埼玉医科大学心臓血管外科講師
2007年 埼玉医科大学心臓血管外科准教授医学博士、心臓血管外科専門医等の資格を持ち、現在に至る。

2011年7月6日水曜日

緑のカーテン計画迷走中

西向きの部屋に住んでいる者の常として、夏の夕日には耐え切れないものがあります。
節電とか言われても、こう暑くっちゃ、ねえ。
エアコンを全力運転させても、夕方になると確実に室温が上がっていくのであります。

辛い。

そこで、積年の思いを果たすべく、今年こそは緑のカーテンを作ろうと思ったのです。
植物を育てて日除けにしようというのが緑のカーテンの目的であり、もさもさと生い茂るゴーヤなどがよく用いられているそうですが、ゴーヤにはあんまり興味がない。

では何にしようかと考えているうちに、アレがあるじゃないかアレが、とふと気づきました。

何年前か忘れましたが、出勤途中の乗換駅で何やらポケットティッシュのような物を配っている人がいたのです。
何気なく受け取ってから、ポケットティッシュにしては倍くらいの大きさがあるけどなんだろう、とよく見ると、それはミニトマトの種と、種蒔き床のセットでした。
袋を開けて水を注ぐと圧縮された土が膨らむので、そこに種を蒔きましょう、とな。

調べてみると、ミニトマトは背丈が2mを超えるらしい。それなら日除けにできるじゃないか。よし今こそあのセットを使うときだ。

ってなわけでミニトマトの種を蒔いたのが5月下旬。
意外にもほぼ全ての種が芽吹き、ほとんどの芽がすくすくと成長しました。間引いた芽をよそのプランターに植えておいたらほぼ全てが生き残るという驚異の生命力。凄いぞミニトマト。

こうなるとウチの子とヨソの子と比べたくなるものでして、道すがらトマトっぽい葉を見つけると、その育ち具合をじっと観察したりし始めました。
なんだヨソのトマトはひょろひょろで背丈ばかり伸びて。ウチの子なんかは丈こそ10cmと低いけど、本葉が7枚もついてて茎も太いぞ。その内にぐんぐん伸びて2mになるんだからな。葉と葉の間が10cmもあるような間延びしたモヤシとは違うんだ。

…なんて思ってたのですが、"ミニトマト 苗"で画像検索すると、どうもひょろひょろなのが普通のようであります。

ではウチの子はなんなの?成長障害?それとも?

焦りながら調べると、意外や意外、どうもウチのベランダで元気一杯に成長しているのは矮性ミニトマトというものらしい。曰く、背丈が30cm程度とコンパクトなので、支柱が要らずお手入れが簡単です、とな。

…30cmって…



待て慌てるなこれは孔明の罠だ(←違います)



…とりあえずミニトマトは育てるとして、緑のカーテン計画はどうしたものか?

1.すっぱり諦めてヨシズか遮熱シートを買う
2.別の植物にトライする
3.両方実行する

なんにしても、すぐに行動に移らないとどれも売り切れる可能性あり。
まずは朝顔(が一番成長が早いらしい)の種がどこかに売ってないか探しに行こうと思います。

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2011年6月21日火曜日

本日のレッスン:秋のスケッチ2回目

あー、随分とご無沙汰しておりましたが、レッスンの方は粛々と進んでおりまして、

なんと『春』は前々回で終わりました。予定よりも2週間も早い。凄い。偉い。

そして、先月書いてた『クリスマスの歌~』ですが、
最初、先生に話したところ、あからさまに身構えられてしまったのですが、
楽譜を先生に見せたところ「これなら簡単だからOK」とのことで、これも無事通過。

で、『春』の次は何をやりますか、ってな話になって、それまで適当に弾いていた『秋のスケッチ』を急遽やることになったのでした。

なんで「簡単だから楽勝」とか言い切ってた曲が2週目に入ったかと言えば、

そりゃ練習してないからです。

練習したら楽しいです。自分の世界に浸れます。

で、ですね、『春』と『秋のスケッチ』を続けて弾くと、同じようなメランコリックな曲でも、見えてる世界が全然違うんだなーと思えてきて。これはやっぱり、作曲家が違うからなんだろうなーと思ったり。

となると、夏と冬も違う作曲家にしたいな、なんてふと思ったり。
あーどうしましょ。

あ、肝心のレッスンの内容ですか?
そりゃ練習してませんから、レッスン時間は丸々練習ですよ。
いや、最初に『春』を弾いたっけ。発表会まで忘れないように毎回弾くこと、とのお達しです。

それと、移動ドの話。
「学校でずっと移動ドで教わってきたから、移動ドで読んでみたら理解が進むかと思ってやってみたんですけど、なんか変なんですよねー」とか言ってたら、
「短調の場合はラシドレミファソラで読みましょう」と教わってビックリ。
これは移動ラって言えばいいのかな。
エウレカ!って感じです。

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2011年5月12日木曜日

発表会の曲を考えてみる

発表会の曲を春夏秋冬の小品4曲でまとめる、という枠組みは決まったのですが、発表会が12月にあるとして、夏秋冬の3曲にかけられる時間は7月から12月初頭までの5ヶ月強。
これまでの経緯を考えると、3曲とも短くてうんと易しい曲でないと危険が危ない。
それに『春』がテンポの遅い感傷的な曲なので、他の曲は違う傾向にしないとメリハリがない。

という前提に立って考えると、

秋はやっぱり『秋のスケッチ』。
これ、実は以前弾いていたギロックは『森のざわめき』でして、『秋のスケッチ』は未だ弾いたことがありませんでした。
このたび初めて弾いてみたんですけど、いやいや、これ、めっちゃイイですね。
もうね、弾き始めると止まらない。自分の世界に浸りきって抜け出せられない。
思いっきりフルスイングで自己陶酔ワールドに一直線、です。
テンポが遅くて感傷的なところが『春』とキャラが被るので他の曲も考えてみたんですが、この曲と競えるほど吸引力の強い(かつ簡単な)曲が見当たらないので、これでほぼ確定。

次に夏ですが、ブルグミュラー18の『大雷雨』は既に発表会で弾いてしまったので、やはりギロック・叙情曲集の『夏の嵐』が適当ではないかと。
演奏効果が高い割には易しく(多分)、そしてなにより短い。
これもほぼ当確。

最後に残った冬ですが、
最初はリストの『クリスマス・ツリー』から一曲取ろうと思ってたんですよ。
しかし、どうやらどれも難しいらしいということが調べるにつれて分かってきまして、なんとかならんか首をひねってみたのですが、なんともならんのでやむなく没。

そこでリストの中で他にクリスマスっぽいのがないかと探してみると、なんと『クリスマスの歌-キリストは生まれたもう』という、そのまんまのベタな名前の曲があるではありませんか。
それに短い。1ページしかありません。

ただ問題なのは、テンポが遅いこと。『秋のスケッチ』がスローなので冬はちょっと速い目の曲を選びたかった。
それと、前半に四声がガッチリ入ってるんですよね…。
これは先生にお伺いを立てなければ…。

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2011年5月11日水曜日

今週のレッスン:発表会の曲を検討しました

えーっと、ブログを書くのは久しぶりなんで、書き出しに困ってるんですが、
それはさておくとして。

実は、地震以来、ピアノに触ってませんでした。

いや、地震の被害を全く受けてない人が何で?と自分でも思うんですけど、
気持ちの切り替えがうまく出来ませんで。

例えば、ツイッターをずっと見てたんですけど、
地震以後は「~なう」みたいな、純然たる取り留めなさ100%なツイートが
あからさまに減って、
その代わりに「何か有益な情報を書かねばならない」という焦燥感が
ディスプレイから滲み出てきそうになりまして、
なんか右を見ても左を見てもそんな感じで。

あー、なんだかなー、
ちょっとこの雰囲気でピアノブログとかって書きづらいなー、
練習キライ、メンドクサイ、シンドイ、ヤル気デナイ、とか、甘ったれんな
みたいな気分がヒシヒシと。

まあ、そんなの自分の勝手な被害妄想なんですけど。
分かってはいるんですけどね。

そんな感じで、レッスンには通ってましたが、全く練習してないので
さっぱり曲は進まず。

というところで先日のレッスンがあったわけです。


先生の最初の一言。
「今年は発表会に出ます?」
ええ、まあ。
「じゃあそろそろ発表会の曲を考えましょう。何か弾きたい曲はありますか」

先生は、顔には出されてないですけど、近年の発表会におけるワタクシの
度重なる不出来具合に、明らかに危機感を抱いておられるようです。

今やってる曲を生かせるように、この楽譜(リスト リートによる15のピアノ
小品集(全音))からもう一曲選んで2曲やろうかと思ってるんですけど。

先生、楽譜を何度もパラパラめくりながら
「どの曲も和音が多いわねえ…」
ああ!先生に速攻で痛いところを突かれてしまった!

そーなんです!
全然音が覚えられないんです!
前々回の幻想即興曲とか!
前回の悲愴1とか!
もう止まりまくりでして!

ではメンデルスゾーンの春の歌なんかはいかがでしょ?
「あれは長いし、やっぱり和音がね…」

ではギロックの『秋のスケッチ』は?
「あれは以前やったけど発表会では弾いてなかったですよね。そうしましょ」
いきなり表情が明るくなる先生。

「いっそ春夏秋冬の4曲揃えたらどうかしら?」
冬ですと『サンタクロースのおじいさん』とかですか?
「それもいいし、夏はギロック(の叙情小曲集)になんか夏の曲が
あったと思う」
了解、後で調べます。

というわけで、大まかな方向が決定。

さて本題。
もうお忘れの方も多いかと思いますが、ショパン=リスト『ポーランドの六つの歌』
より、『春』です。

まず弾いてみます。
「まず今の曲を仕上げましょう。この曲に時間かけすぎ。6月中に完成させましょう。
少ない練習時間であれこれやると終わらないから、この曲だけ練習して。」
「あ、6月中と聞いて『まだ2ヶ月も余裕がある』と思ったでしょう?でも今から
完成までには2ヶ月かかると私は思う。」
「誰でも一通り弾けるようになってから完成までの間が一番しんどいの。」
「五月中の目標は楽譜を見ながら止まらずに弾けること。」
「まず止まらずに弾けるようにならなくては。もっとよく慣れて。特に後半以後。」
「次からはレッスンでは後半だけやりましょう。」
「練習するときも、まず後半から取り掛かること。」

で、今度は運指の話。
楽譜に書かれた先生の運指と全然違う弾き方をしている件について。
「どうしてそうなったの?前は、こっちの方が良いって言ってませんでした?」
あー、その辺の記憶がちょっと飛んでまして。多分、金星人に拉致されて
記憶を改造されたんじゃないかと思います。
(↑って言おうと思いましたが、話が続かなくなりそうなので止めました)
「指使いはいったん決めたら変えないで。」
了解です。

というところで時間切れ。

発表会を意識して、やにわにモチベーションが高まってきました。
やっぱりゴールがないと燃えませんな。

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2011年3月2日水曜日

「清らかな小川」アップ

2月中にアップするとか言ってましたが、二日遅れてしまいました。どうもすいません。練習した割には上手くなった気がしないという、なんだか釈然としない出来ですが聴いてください。



うーむ、結局何を改善しようとしてたんだか忘れてしまいました。最初、何考えてこれをやろうと決めたんだっけ?
…思い出せない。まあいいや。

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今週のレッスン:「清らかな小川」いったん終了

いいかげん終わりにしたいブルグミュラー「清らかな小川」。
さて、無事に終わるでしょうか?

弾いてみました。いかがでしょう?
「んー、まだ親指に重みが載ってないねえ」
あららん?
「左手は音が揃ってない。手首を上下させないで」
えーと、こんな感じ?
…先生は無言で私の左手の手首を指で押さえます。あああ弾きづらい。

「まだまだでしょうか?」
「…何の曲でもそうだけど、完成というものはないからねえ…
でも音のバランスはいいから、もうこれでいいんとちがいます?」

うーむ、ではこれにて「清らかな小川」はひとまず終わりということにさせていただきます。
これにて一件落着。

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2011年2月25日金曜日

今週のレッスン:ブルグミュラーがまだ終わらない

今週のレッスンでは、ついにリストを弾きませんでした。
最初から最後まで「清らかな小川」だけ。

「親指にしっかり重みをかけて」と先生。
「あなたは今こう弾いていたけれど」(先生弾く)
「そうじゃなくて、こう」(先生弾く)

あ~、音が違うのは分かるんですが~、
何をどう動かしたらそうなるのか、よー分からん。

とりあえず、もう一度弾いてみましょう。

あ、ちょっと5が飛び出ちゃった。
今度は音が濁ったかな。
うーん。

とかなんとかやっている内に時間切れ。

「今日は音のバランスで言えば最初に弾いたのが一番よかった」と先生。
ええーそうでしたか…。
まだまだ完成には遠いなあ。

というわけで、来週もこの曲をやることにしました。

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2011年2月18日金曜日

レッスンで大発見。親指が開いてなかった。

今週のレッスンでのこと。
「左手で1,3と弾くとき、手首をどうして右に曲げるの?」
と先生。

え…そうしないと弾きにくいからですけど。

「手首を曲げなくても、1を開いたら弾けるでしょ」

あー、そうすると1が弾きにくいです。
だって1が鍵を横から弾くすることになるでしょ?隣の鍵に当たりそうです。

「1の指を曲げればできるでしょ」



その通りでした。

思い返せば、1が開いてない、1を曲げてないまま強引に弾いていたことが多々あり。
「清らかな小川」で1以外の指に重みがかかってしまうのも、1が開いてないからでした。

なんとなんとなんと!こんな基本的なことに今まで気づいていなかったとは!

「前から何度も言ってるでしょ…」

あ、あ、そうでした。すみません先生。これで新しい世界が開けそうです。

しかし、この1を開かない癖、長年にわたって染み付いているので、直すのには時間がかかりそうです。

「練習に頑張りすぎて指を壊さないようにね」

了解です。

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2011年2月13日日曜日

ブルグミュラーがまだ弾けない

実はこの三連休で「清らかな小川」をアップしようと密かに思ってたんですが

うまくいかない~!

右手の親指が左に移動していく箇所が異常なくらい間違えまくり。
ここを滑らかに動くように練習してるわけですが、なんか、手首に力が入っちゃって。
おまけに小指が軽く動かなくて、気を抜くとすぐに音が飛び出してしまい。

どうせなら完璧を目指したい、とかなまじ思ってしまったばっかりに、何かドツボにはまってしまったような気がしないでもない。

いづれアップしますので気長にお待ちくださいませ。

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2011年2月12日土曜日

ガスコンロが一口しかなくても料理を諦めない

うちのマンションはガスコンロが一口しかないので、スパゲティを茹でながらソースを作るということが出来ません。

そこで私は考えた。
スパゲティの標準茹で上がり時間の数分前で鍋を降ろし、そのままソース作りに着手すればよいのではないだろうか。

やってみました。
結果、うまいこといきました!
以下、詳細な手順。

・食材を買って帰ってきたら、ただちに鍋に湯を沸かす
・コートを脱いでマフラーを外、それらを片付ける
・すぐに使わない食材をしまう
・ホウレンソウを包装から出して水で洗う
・鍋に塩を投入する
・ニンニクの包装を取り、皮を剥き、薄く輪切りにし、小鉢に移す
・鷹の爪を冷蔵庫から取り出し、種を取って小皿に移す
・ここで丁度湯が沸いたのでホウレンソウを立てて鍋に投入。
・鍋に蓋をする
・その辺を掃除する
・ホウレンソウの葉の先が湯の中に崩れ落ちたのを確認して、火を止め、湯を切り、ホウレンソウをざるに移す
・鍋に水を張り、火にかける
・ホウレンソウの根元を切って捨て、食べやすい大きさに切り、小鉢に移す
・シメジと舞茸を包装から取り出し、食べやすい大きさにちぎって、小鍋に移す
・牡蠣を包装から取り出してざるにあけ、塩小さじ1を振って流水で揉み洗いする
・湯が沸いたのでスパゲッティを投入
・鍋に蓋をする
・泡が蓋に届いたら火を弱める
・食材を包んでいた包装やニンニクの皮など諸々のゴミを片付ける
・ワイン用の栓とソムリエナイフを準備する
・ここでスパゲティを投入してから5分経過したので鍋を火から降ろす
・代わって中華鍋を火にかける
・中華鍋にオリーブオイルを投入
・続けてニンニクと鷹の爪を投入
・ニンニクと鷹の爪を入れていた小鉢と小皿を洗う
・ここでニンニクの香りが立ち昇ってきたのでキノコ類投入。かき回す
・焦げ始める。明らかに油が足りないのでオリーブオイルを足す
・ホウレンソウ投入
・ホウレンソウにより温度が下がったので、温度が上がるのを待つ間にスパゲッティをざるにあける
・鍋に塩と胡椒を投入、かき回す
・牡蠣を投入。少しかき回す
・スパゲティを投入。何度もかき回す
・出来上がり
・マーベラスかつスプレンディドな味に感動する
・ちょっと食べ飽きたのでワインの栓を抜く
・ワインを味わう
・残りをたいらげる
・洗い物を片付ける
・ワインを飲みながらブログを書く←今ココ

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2011年2月11日金曜日

目の上のタンコブ、靴の中のかゆみ、ほったらかしのインベンション

この間のレッスンのこともあって、ブルグミュラーをちょっと弾いてるんですけど、
いやあ、この「清らかな小川」が実に楽しい!
譜読みの苦労から解放され、音だけに集中できる世界はまさに
アイアムプレイングザピアノゥ~!
ってな感じです。

そんな充足感に浸りつつ、ではもう何年もほったらかしのインベンションをちょっと弾いてみましょうか、と楽譜を取り出したのはいいものの、

弾けない

弾けません

あうあうあー

あーマクビティビスケットおいしいです。(←現実逃避中)


先日書いたとおり、70歳でピアニストデビューを目論む私にとって、インベンションは目の上のタンコブ、靴の中のかゆみなのです。

インベンションが弾けないピアニストなんてありえない。
だがしかし、ありのままを申し上げると、

私、インベンションは1番と4番しかやっておりません。
そして今、1番すらもちゃんと弾けなくなっているというこの現実。

あー神様はなんという試練を私にお与えくださったのでしょうか。
ホント、ピアノ界に原罪というものがあるとすれば、それはバッハに違いありません。
私達は一生かけてこの罪を購わなければならないのです。よよよ(泣く)。

あー、ある日の朝、目が覚めたらいきなりバッハが弾けるようになってるとか、そういう奇跡は起きないもんでしょうか。グチグチ。

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2011年2月7日月曜日

「年金は70歳から」時代の到来

ちきりんさんの日記を見て頂ければお分かりになると思いますが、
厚生労働省による「年金支給開始年齢を70歳に引き揚げてやる」構想が着々と進みつつあります。

以前から申し上げております通り、私hotglassは60歳でピアニストデビューを飾る予定でありますのですが、
この案が通れば、70歳デビューを余儀なくされる見通しであります。

練習時間が10年分増えて嬉しいですよ。ヘッ!
ってなもんです。

ところで、厚生年金は70歳まで納めなくてはならないんでしょうか?
あと何年働かないといけないのやら…トホホ…。

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ピアノレッスン番外編:ブルグミュラー25の練習曲

今レッスンで見てもらってるショパン=リストの「ポーランドの六つの歌より"春"」というのは、全音の楽譜で、
表紙が同じなのは当たり前として、厚みも「ブルグミュラー25の練習曲」と殆ど変わらないんですよ。

だから、ピアノの譜面台に乗っている楽譜を掴んで鞄に入れたとき、間違った楽譜を入れたとは夢にも思わなかったのでした。

まあ間違ったのは過ぎたこととして、レッスンに間違った楽譜を持って行ったとき、人は何を為すべきでしょうか?

1)気合で「春」を思い出せるだけ思い出して弾く
2)諦めてブルグミュラーを弾く
3)スケールとかアルペジオとかの基礎練習を見てもらう

今日は2)でした。いや、ちょっと3)も入ったかな?

ブルグミュラーで見てもらったのは、7番(清らかな小川)、13番(なぐさめ)、24番(つばめ)。

7番と13番で言われたのは
「主旋律に手のひらの重みをかけ、その他の音は指を上から垂らすようにぶら下げて弾くこと」
「手首を柔らかくして、手のひらの重みを指先に乗せて移動させること」
特に7番で「手首が固い。全然動いてない。手首の上下運動だけで1指を動かしている」と何度も指摘されてちょっと涙目に。

24番は「なんか難しそう…」と言ったのを先生が聞いて「そう?じゃ、ちょっと弾いてみましょう」と。薮蛇でした。
「まず左手だけ弾いてみて。ゆっくり。でも跳躍は素早く。サッと動かす。ゆっくり弾いているときでも、跳躍だけは出来るだけ速く動かすこと。それができたらテンポを少しずつ上げる。あれ?テンポを上げたら跳躍が遅くなったよ。もっと速く。もっと素早くね」
何度か練習したら感じが掴めてきました。
これでリストの「ため息」も攻略可能ですね!(←言い過ぎ)

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シューマン 流浪の民

小学校の音楽の授業で色々レコードを聴きましたが、一番記憶に残っているのはシューマンの「流浪の民」です。
それ以来、シューマンは合唱音楽の作曲家だと思っていたのですが、
次にシューマンを聴いたときは、シューマンは「トロイメライ」と交響曲第1番「春」の作曲家でありました。
それから歌曲の作曲家でもあったことを知りましたが、

クラシック愛好家の間で流浪の民が話題になることはついぞありませんでした…。
流浪の民はどこに行ったんだろうか…。

と思っていたら、タワーレコードに「小学校の懐かしい思い出!流浪の民収録!」みたいなポップがついたCDが出てまして、「あー、流浪の民ってそういうポジションなんだなあ…」と妙に納得したことでした。
もちろんCDは買いました。この機会を逃すと後がないと思いまして。
その考えは残念ながら的中し、その後、未だに流浪の民を収録したCDに触れる機会がありません。

いい曲だと思うんですけど、なんで全然話題にならないんでしょうねえ…。
もし小学校の音楽の教科書に載っていなかったら、そして音楽鑑賞の教材に挙がっていなかったら、と思うとちょっと胸にこみ上げるものがあります。
今の小学生は流浪の民を知ってるのかな?

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2011年2月6日日曜日

時よ止まれ お前は美しい

今日は午後一杯かけて、ガスレンジのホーローを磨きました。

食器用洗剤、スポンジ、漂白剤、メラミンスポンジなど使いましたが、
最も効果があったのは練り歯磨き+ナイロンたわしでした。



なんという美しさでしょうか。
このマンションに入居した時でさえこんなにキレイではなかったような気がします。

あまりの美しさに床の間に飾っておきたくなりましたが、
残念なことに我が家には床の間がないので、代わりに写真をこのブログに収めておきます。
いつかまた汚れたら、この写真を見て磨くことにしましょう。

ショパン=リスト「春(ポーランドの六つの歌より)」レッスン3回目

しばらくブログを更新してませんでしたが、レッスンはひっそりと通ってまして、
年初から始めた「春」のレッスンも3回目となりました。

・短調から長調に変わる部分は「さあここから長調ですよ」と分からせるため、少し強調する
・同じフレーズを短調と長調で繰り返す場合、長調は少しカリッとした音で区別をつける
・同じフレーズの繰り返しだけど一つだけ違う音の扱いについて、「この音は違ってますよ」と分かるように少し強調する
・タメが多すぎると聴き手が疲れる。
・フレーズを途切れさせないよう、左手の跳躍を素早く行う
・四声は見た目簡単でも弾くのはそれなりに難しい

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2011年1月12日水曜日

andantino malinconico

「春」を最後まで弾いたところで、指示を読んでみようではありませんか。

まず最初に andantino malinconico とありますが、何これ?

調べてみると、andantino は、andante より早いという意味らしい。
ただし、andante より遅いという意味でもあるらしい。

続く malinconico ですが、まあ malin と付くんだから海に関係するんだろうなあ、と思いつつ調べると、
これがなぜか「憂鬱」という意味で。

憂鬱?

思わずじっと malinconico の綴りを眺めると、これはひょっとして「メランコニック」のことじゃないでしょうか。
きっとそうに違いない。

そうすると、andantino も andante よりはちょっと遅いんだろうなあ。

というわけで、この曲は「アンダンテよりちょっと遅くてメランコニックに」ということになろうかと思います。

メランコニックかあ。言われてみればそんな気もします。

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2011年1月11日火曜日

「春」がやっとつまづかずに弾けるようになりました

「バイエルにちょっと毛が生えたくらい」とか豪語していた「春」ですが、やっとつまずかずに弾けるようになりました。
あー、その、意外にね、難しかったです。

この曲を弾いている動画がなかなか見つからなかったのですが、このたびやっと見つかりましたので貼っておきます。



自分の動画はレッスンが終わってからにする予定。
え、悲愴1の再up?全然手をつけてません(開き直り)

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2011年1月6日木曜日

喉が渇いたらピアノから離れてみる

ピアノを練習していると、しょっちゅう喉が渇きます。
今まであまり気にしたことがなかったんですが、これ、緊張しているからじゃないのかな。

どうも「あ、難しい」とか「間違えそう」とか思っているときに限って喉が渇くようなので。
それに、そういうときは大概、肘が固くなってます。これも緊張している証拠。

それで、今日は、喉が渇いたら一旦ピアノから離れて、体をリラックスさせてから戻るようにしました。

そうすると練習があまり辛くならない。

今日はちょっといい発見をしました。

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グルメ気取り

あけましておめでとうございます。今年も拙ブログをご贔屓の程よろしくお願いします。

去年のブログを読むと、誕生日にマフラーを買ったと書いてあり、ああそんなもの買ったなと遠い目をしてしまう昨今なのです。いやマフラーは重宝しております。ベージュのコートに良く合う色合いで丁度良かった。しかし、今年は何をしていいもんやら見当が付かない。

ところで、多分来年になったら、いや来月になったら忘れてしまうであろう通販おせち事件ですが、
(グルーポン おせち バードカフェで検索すると、多分来年でもちゃんとヒットするでしょうが)
これで気になったのが、シャラン鴨のロースト。

ビュルゴー家のシャラン鴨というのは検索すると沢山出てくるんですが、なんかね、ちょっと多すぎるんですよね。生産数が少なくて、出せるレストランはほんの少数のはずなのに、なんでこんなに多いのかと思うくらい。

正月中ずっとモヤモヤしていたので、この際、食べに行ってきました。今年の誕生日イベントはこれで決まり。

で、どうだったかと言えば、これで食べるのは少なくとも2回目になるんですけど、相変らず他の鴨肉とどう違うのかよく分からない。
柔らかく、ぱさつかず、ふんわり、しっとりとしていて、これなら毎日食べても食べ飽きないだろうという丁度いい感じ。でも、大枚はたいてまで食べたいかというと、ちょっと腰が引けます。

ついでにベルーガキャビアも食べてみました。ベルーガは初体験です。
が、以前同じレストランで食べたオシェトラキャビアとどう違うのかよく分からない。
調べると、ベルーガの方が大粒らしいですけど、そうなのかなあ?もしかして騙されてたり?そんなことはないよね…。
それに、肝心の味が…。ねっとりとしていて塩味がきつい以外は何も感想が出てこない…。これはもういいや…。高すぎ…。

というわけで、ちょっと期待が大きすぎて外した点はあるものの、全体としては美味しかったのでOK。
明日からは頑張ってコレステロールを下げるぞ~!